私のなかのチャンスの物差しは「みんなが無理といったこと」です。そういう意味では「日本のブランドは育たない、世界へは発信できない」というひとつの「無理」に真っ向から挑戦した形になります。自社ブランドというのは、やはり特別なものです。ましてや世界に打って出るとなれば、なにひとつ妥協するような点などありません。私は確固たる信念を持って、つねに感受性の毛穴を開いて仕事に臨んできました。けれどやはり弱い部分はいくつかあります。ダメなところはもっといっぱいあります。商社時代も、輸入卸の時代も小さな妥協をいくつも繰り返すことになりました。例えば、会社がまだ小さかったころ、入社してくれた社員がいます。前の会社に何か不満があって新たな職場にサマンサタバサを選びました。どんな不満だったのか、それを払拭するにはどうすればいいか、こちらの気持ちを相手にきちんと伝えるには……そういうことを忙しいからといって深く、真剣に考えず、対応が中途半端に終わることもありました。